吉田茂さんが話題になっていますね。
今回はそんな吉田さんについてまとめていきたいと思います。
吉田茂のやったことは?
1946年鳩山一郎の公職追放後、日本自由党総裁に就任し、第1次吉田内閣を組閣し、日本国憲法を制定した。 片山・芦田内閣を経て、’48年首相に復帰、以後7年余にわたり政権を担当。 この間サンフランシスコ平和条約を締結した。
すごいですね!あの日本国憲法やサンフランスシコ平和条約に深く関わっていたとは歴史上でも超大物ですね!
日米安全保障条約への調印も行っていたようです!
吉田茂プロフィール
1878〜1967
大正・昭和期の外交官・政治家
東京の生まれ。土佐自由党の竹内綱の5男。東大卒業後外務省に入り、奉天総領事・外務次官・駐英大使などを歴任。太平洋戦争中、親英米派として軍部と対立。敗戦後、東久邇宮稔彦・幣原 (しではら) 喜重郎両内閣の外相となる
やはりあの東大出身でしたね!
吉田茂の死因や麻生太郎や安倍晋三元首相との関係は?
死因は心筋梗塞
昭和42年8月、心筋梗塞の発作に襲われる。10月20日、神奈川県大磯の自宅で死去。生前の希望で、死亡直後にカトリックの洗礼を受けた。内葬は23日、文京区関口台町の東京カテドラル大聖堂で、近親者・特別縁故者ら1,500人が参列して行われた。また当時東南アジア歴訪中の佐藤栄作首相は、急遽帰国して10月31日、日本武道館で戦後初の国葬を執り行った。この時一般の会葬者は約3万5000人にものぼり、午後3時半から7時半過ぎまで献花の列が続いた。
吉田茂は麻生太郎の祖父
【家系図】
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引用元:MAG2NEWS
実は、麻生太郎は学習院中等科1年のときに、祖父・吉田茂のことについて作文を書いていました。
『ぼくのおじいちゃま』 学習院中等科1年 麻生太郎
ぼくはおじいちゃまをとてもいい人だと思っている。大磯に行ってもいつもにこにこしておられるし、官邸でお会いしても笑ってらっしゃることが多い。議会でむっとしているのは、ぼくが学校でつまらない時やむずかしい勉強の時、しかめつらするのと同じことで、あたりまえのような気がする。
まあ、怒るのは玉にきずだが、家にいらっしゃる時は、とてもごきげんがいい。この間、官邸でいっしょにおやつをいただいた時、甘いものが好きなおじいちゃまは、モナカのあんこだけを食べて外側を残したりして、まるで子供のようだ。それからぼくは、おじいちゃまの服装では和服が一番好きだ。ゆったりとしてよくあい、白たびもきれいだ。声は特長があってとてもマネしやすいし、聞いていておもしろい。頭ははげているからかわいく、はな眼がねや葉巻はおじいちゃまからはなせないものだ。もし、おじいちゃまが、パイプを吸ってたり、普通の眼がねをかけたら、おかしくって見ちゃいられないと思う。
出典:毎日グラフ別冊復刻版 (サン写真新聞9-昭和29年)1990年8月30日発行
かわいい孫の麻生太郎に対しては、安らぎの一時だったと感じられる作文ですね!
吉田茂と安倍晋三は親戚!国葬以外も共通点が!
戦後に内閣総理大臣を一旦退任した後で再登板した例は、吉田と安倍晋三の2人のみだそうです。(2022年7月現在)
まとめ
いかがでしょうか。
- 吉田茂さんは日本国憲法を制定した人。
- 吉田茂さんは麻生太郎さんの祖父
- 吉田茂さんと安倍晋三さんは親戚
最後まで読んでいただきありがとうございました。
